第3回沖縄映画祭の大きな柱である地域発信型プロジェクトのなかの一本として製作された映画『とんねるらんでぶー』。この作品は、静岡県・三ヶ日町を舞台に、三ヶ日町民およそ450人の力を結集して作られたという。
主演の吉永淳17歳は、まるでナウシカのような、ボーイッシュでひたむきで青春一直線な雰囲気を見せる。「こんな町なんかじゃ嫌だ。都会に出たい」と呟くヒロインは、高度成長期以降の「地方の過疎化」を象徴している。地元名産の三ヶ日みかんのテーマソングを村祭りの舞台ではなく、NHKホールや武道館など、多くの観衆の前で歌いたいと夢見る少女は一方で、暗いトンネルを前にして、足を踏み出せないでいる孤独な存在でもある。
少女がトンネルの向こうに見える微かな光を目指して、大地を蹴る時、彼女のスニーカーは初めて地球をグリップするのかもしれない。つま先からアキレス腱に至る、その手応えこそが、生まれ育った土地の温もりなのだ。大嫌いだった故郷が、母なる大地だと知った時にこそ、日本人は「地域の時代」に気づくのかもしれない。
大阪の橋下徹知事、名古屋の河村たかし市長など、首長の時代が確実に到来しつつあるのも、資本主義後期の「地方の逆襲」を予感させる。
吉本興業が、全国47都道府県に、地方在住の契約社員を募集し、お笑い芸人や放送作家を発掘し、地域発のコンテンツを集めるのは、時代が、中央ではなく、周縁部からの「声」を切実に希求しているからなのではないか。
これまでの中央集権方式だけでは、バジェットばかりが肥大化し、リスク管理に慎重になるばかりで、エッジの効いた、規制概念を打ち破る作品や才能は出てこない。
地域発信型プロジェクトの地域発信映画7作品もJIMOT CM COMPETITIONも、その発想の流れの上にある。低予算でも、地域発信映画のイキイキとしていること! JIMOT CMの、型破りな発想の伸び伸びとしていること! そこには、確実に時代を変換させる、エネルギーとオリジナリティがある。
政権交代後の政治の低迷、災害対応の中央官庁の連携の乱れ、もう、中央には任せておけない。地方が、地元が、決起して自立するのだ! あちこちから湧き上がる、無名がゆえに、恐れを知らないトキの声は、2010年代の日本を着実に変えて行くだろう。
宮古島市の、成田市の、三ヶ日の、十日町の、富山県の、津山市の、大阪市の、奇跡のような映像を見るがいい。町の人々が、夜食を提供し、エキストラになり、時には交通を止めてまで、われらが町の映画の完成に心を寄せてくれている。
苦難の時こそ、都市を漂流する民草は、生まれ育った故郷に思いを馳せるのだ。あんなに、お節介で、狭量で、大嫌いだったはずのあの空間への、胎内回帰を夢想するのだ。
今次の天災は、地方の時代の復権の正統性を、教えてくれた。
山があり、畑があり、牧場があり、港湾がある。若さゆえ、見捨てたはずの地元の自然の何気なさが、超高層ビルよりも、なぜ輝いてみえるのだろう。
地方に目配りを! 青春を過ごした時空間に敬意を!
日本は生まれ変わり、再生する。歩みはのろくても、その予兆は、確実な足音となって、我々の鼓膜を震わせつつある。
新しいクリエイターが出てくるだろう。
新しいヒーローが出てくるだろう。
その感触を、この映画祭で私たちは実感として、覚えつつある。
何かが大きく変わりつつある。それは声高な中央の権力者による擬態ではなく、声なき地方の市民の、戦後65年、降りもった、曇りの晴れた眼差しに支えられた、全く新しい第2章なのだ。
(文=麻生香太郎)